2008年3月12日水曜日

哲学の登場

人は古くから「存在の問い」をもっていた。
世界はどうやって生じたのか、人間はなぜ生きているのか、死んだらどうなるのか、私とは一体何なのか。これら「存在の問い」は、人間が自己意識をもちはじめると同時に現われたと考えられる。

古代の人々はこれらの問いに、「神話」や「宗教」をもちいて答えようとした。
「神話」や「宗教」は、人間が大昔から「存在の不安」をもち、自己の生の全体をイメージして、それに一定のかたちを与えないではいられなかったことをよく語っている。

どんな「神話」も「世界の意味」を与えている。「神話」と「宗教」は、世界を説明する方法としては多くのメリットをもっている。「物語」はシンプルで誰にも理解でき、多くの人間が古い賢人の言葉を共に信頼することで権威づけられ、そのことで人々は「聖-俗」「善-悪」の秩序を共有し、そのことが安定した共同体の基礎となる。

しかし、どの文明においても、「宗教」のあとに「哲学」が現われる。「神話」や「宗教」の世界説明には、共同体の枠を超えられない、という大きな弱点がある。そこで「哲学」の世界説明が登場する。
「哲学」は「物語」を使わず、「概念」を使って論理的に世界を説明する。

「概念」はどんな文明にも存在するので、哲学の世界説明は共同体の限界を超え出て広がってゆくことができる。この方法によって、異なった説明体系を超え出て普遍的な説明を目指すことができる。「哲学」の世界説明の最大のメリットは、世界説明の普遍性を作り出すという点にある。

それは、共同体と宗教的な枠組みを超え出ることができ、より広範な人々がこの世界説明の言語ゲームに参加できるということでもある。哲学においては、世界説明の良し悪しを決定するのは、特定の宗教的政治的権威ではなく、一般民衆なのである。

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