2008年3月25日火曜日

カント 其の四

「自由は道徳の存在根拠であり、道徳は自由の認識根拠である」というよく知られたカントの言い方があります。

カントによれば、人間が道徳的存在でありうるのは人間が「自由」な存在だからであり、また人間が「自由」な存在でありうることは人間が道徳をもっていることがそれを証している、ということです。

「アンチノミー」による形而上学的思考の禁止、そして理性の本性から人間の存在本性を「道徳」への「自由」として定立したこと。これが近代哲学におけるカントの業績の決定的な点です。プ

人間はその存在本性が「自由」であり、したがって冒しがたい尊厳をもっている。だから人間は存在自体が「目的」であるような存在であり、何びとも人間を「手段」として扱ってはならない。

このような考えは、いうまでもなく、既成勢力の古い権威から、「人間」を、つまり個々の人間の具体的な「自由」と諸権利を守るための(というより「解放」するための)理念でもありました。

いかなる行為も、その行為そのものについて見て、あるいはその行為の格率に即して見て、各人の意思の自由が何びとの自由とも普遍的法則に従って両立しうるような、そういう行為であるならば、その行為は正しい。(「法論への序論C」より

法(Right)は、正しい(Right)ことに根拠づけられなければならないが、ここで行為の「正しさ」とは、ある人間の自由な行為が他の人々の「自由」をまったく侵害しないかたちで確保されるかどうかで判定されます。逆に言うと、ある行為は、それが万人の「自由」の確保を少しでも阻害したり脅かしたりする場合は、「正しくない」ということになる。

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