2008年3月13日木曜日

フッサール

フッサールが「意識の本質」を把握せよと言うとき、それはつまり、知覚体験において誰にとっても「共通項」として取り出しうることがらを記述せよ、ということを意味している。

「現象学的還元」は、「私の意識」に生じている体験のありようをやみくもに、〝ありのままに〟記述するのではない。そんなことは不可能に決まっている。「私の意識」に生じている体験のありようから、他者にとっても必ず生じているはずだと考えられるもの、すなわち共通項と考えられるものを「抽出する」作業、それが「還元」である。

ここでは「知覚」という体験の共通項を取り出す作業が、知覚の現象学的還元であり、「意識体験の本質」あるいは「意識のア・プリオリ」を把握するとは、すなわちそういうことなのである。

もっとも肝要なのは、なぜこのような意識体験の「共通構造」=「本質構造」を取り出す必要があるのか、ということである。一体何のために「還元」を行う必要があるのか。

その答えは、「確信成立の条件と構造」を解明するためである。 そして、このアイデアが現象学という方法の最大のメルクマールなのだ。 この根本アイデアが、現象学をして近代哲学の根本問題であった「認識問題」を解消させ、現象学を哲学的思考のもっとも進んだ原理論たらしめているといえるのである。

フッサールは、現象学的還元の方法が、ヨーロッパ哲学の根本問題である「認識問題」を完全に解明するアイデアであるという確信をもっていた。言いかえれば、「認識問題」を解明するには、人間の認識の構造を「信憑構造」として捉え、この構造の共通本質を取り出せばよい、という思想的直観をフッサールがもっていたということである。逆にいえば、現象学的還元の方法は、人間の認識構造を「信憑構造」として捉えよ、という要請から出てきた方法なのである。

(『現象学は<思考の原理>である』竹田青嗣・ちくま新書)

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