2008年3月25日火曜日

ヘーゲル 其の二

この「絶対本質」というミスリーディングな概念こそ、『精神現象学』のキーコンセプトである。 これはしばしば、神秘主義的、観念論的、実念論的な「実在者」、つまり「至上存在=神」とほとんど同義のものとして読まれている。しかし、「絶対本質」は人間的欲望の「超越性」として読むのが適切である。

人間の欲望の本質は、生理的な欲求を充足することを超え出ているのであって、ひとことで言って「存在可能」(ありうる)一般として定義できる。人間の欲望は固定的な「対象」と「目標」をもたない。

また人間の欲望は価値相関的なもので、「真・善・美」という価値審級を一般対象とすると言える。したがって「ほんとう」「よいこと」「美しいもの」が、人間的欲望の対象の本質である。

カントの「理性の完全性」概念が示唆しているように、人間精神は、具体的な与件を出発点として、そこからたえずより「よいもの」、より「美しいもの」を欲求するというかたちをとる。それは範例の意識としては「理想を思い描く」ということだが、概念としては「超越性」「至高性」「ほんとう」といった概念、つまり「絶対本質」となる。

重要なのは、ヘーゲルが、人間精神が自らの本質を展開してゆくその根本動機として、精神の「絶対本質」への希求、という「原理」を提出しているということである。すなわち、精神は、もし条件があればより「ほんとう」のものを求めようとする本性をもっている、ということになる。

そう考えれば、『精神現象学』における「絶対的本質の自己展開」と言われていたものは、神秘的どころではなく、まったく妥当で本質的な洞察に満ちた近代精神の展開の範型として読むことができるのである。

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