2008年3月25日火曜日

カント 其の二

さきに述べたように、理性は「推論」の能力です。われわれの理性は、世界がどのようになっているのかという問いに対して、どこまでも推論の能力を行使し、そのことで、ある完全な世界の像をとらえようとします。

しかしカントは、まさしくそれがゆえに世界についての人間の純粋理性の能力は、必ずある解きがたい「アンチノミー」(二律背反)にゆきつく必然性をもっている、というのです。有名な四つの「世界の問い」は以下のとおりです。

(1)世界には始まり(時間的出発点)、あるいは空間的限界があるか、ない
   か。
(2)事物をどこまでも分割していくと、もうそれ以上分割できない最小単位に
   ゆきつくか、それとも物質はどこまでも果てなく分割できるか。
(3)およそすべての生起する出来事は、必ず原因結果の系列のうちにある
   のか、それともどんな因果律からも自立した原因としての「自由」が存在
   するのか。
(4)この世界の一切の秩序を統括する至上存在者(=神)といったものは存
   在するのか、しないのか。

カントはこれらの問いに関して、「ある」(正命題)という答えも、「ない」(反命題)という答えも等しく論理的に証明できる、ということを示します。そのことでカントは、これらの「問い」(=世界は永遠か、有限か等)に答えること自体が「不可能」であることを証明し、そのような仕方でこういった「形而上学」的な問いの無効性を宣言するのです。

すなわち、カントが問うたのは、世界存在、物質の存在、自由の存在、神の存在といった問い、すなわち「存在の謎」という形而上学的な問いそのものの本質なのです。

哲学は不可避的に「存在の謎」を生みだす。しかしこの謎は不毛な問いであって果てないスコラ議論を生むだけのものだ。だからこれを終焉させ、この仮象的な問いを支えている動機であるところの本質的な問いを取り出して、これを問うべきである、とカントは考えました。

カントの「アンチノミー」は、すべての問いに答えがあるわけではなく、世の中には原理的に解答不可能な問いがあるということをわれわれに示しています。カントの「アンチノミー」の決定的な功績は、このような仕方で彼が、それまでのスコラ神学的な哲学思考の残滓を消し去ったことです。

カントが「アンチノミー」で「存在の謎」の仮象性に終焉を宣告したということ、これは近代哲学の術語では、「認識問題」にある決定的な終止符を打つことでもありました。

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